2016年度 活動レポート 第352号:国際善隣協会

2016年度活動レポート(一般公募コース)第352号

日本の進歩した工業設計分野を学び日中をつなぐ交流プログラム

(一社)国際善隣協会では、平成29年2月12日~2月18日の日程で湖南大学設計芸術学院から11名を招へいし、交流プログラムを実施しました。

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中国は1978年の三中全会を契機に改革開放政策に大きく舵を切り、その後、外国の進歩した技術から、外資の導入等幅広く門戸の開放に踏み切り、今日のような世界の工場へと変貌を遂げました。

しかし、ここまでの道程において、工業の発展と密接な関係にあるのが、工業設計の発展です。80年代の当時、中国において唯一の工業設計の過程を有していたのが機械工業部に所属した湖南大学です。

この湖南大学は、南宋の朱子の関係した岳麓書院にその淵源を持ち、下って民国の初期に工業学校として、再出発し、そこに中国の工業教育の端緒を持ちました。こうした経緯から、ここに工業設計の科程が設置されたことも理解できます。

ところでここに、84年に当時千葉大学の教授でおられた吉岡道隆教授が短期招へいされ、工業設計の指導をされました。

教授は帰国途上北京に立ち寄り、当時JICA事務所に勤務していた筆者に、「湖南大学から、修士課程の設置を依頼され、JICAに関係機材の助力をお願いしたい」と話されました。

こうして間もなく、修士課程が開設され、その後、吉岡先生を中心に千葉大学関係者等が数年に亘り協力しました。こうした経緯から、その後、吉岡教授は筑波大学の教授に就任しましたが、阪神淡路震災の翌年他界されました。

当時から30年が経過した今回、当方から、湖南大学に本交流プログラムへの参加を呼びかけたところ、是非参加したいとのお返事をいただきました。

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湖南大学は、千葉大学および筑波大学と協力校協定を結び、既に交流を続けいます。しかし、こうした交流は全学的なもので、工業設計の分野までは至っていなかったとのことです。

今回の交流プログラムは、訪問先として受け入れる側の、日本の両大学からも大いに歓迎され、交流再開の端緒が得られたと感謝されました。

その他、千葉大学のOB方が大勢おられる千葉工業大学を訪問した際には、当時、若き学徒として吉岡教授に随行され、湖南大学で指導された方が教授として在任され、とても懐かしがられました。

また、千葉工業大学の展示館を見学し、さらにDKデザイン展示館も訪問しました。DKデザインは、日本の工業デザイン界の草分けであり、多くの著名な工業デザイナーが関係し、民間企業として、数々の企業の有名なデザイン製品を生んだ工業デザイン事務所です。

多くの先人がたの作品にも接することができ、中国の参加者に大きな感銘を与えました。

次に訪問した筑波大学では、工業設計の分野は体育・芸術群に属します。ここでも湖南大学との協力協定を締結しており、大歓迎を受けました。

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筑波大:山中教授の講義
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筑波大:講義後学生の製作室を見学
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筑波大学における参加者合同写真

講義は「工業デザインと芸術作品の接点について」というテーマで行われました。最近の工業デザイン科の方向として、やはり人間心理の動向、行動学に関連付けた工業製品の設計が図られていることを学びました。

続いて、中山教授が自身の研究室において、筑波大学の工業デザイン科の設置の経過、および、吉岡教授が中国からの帰国後、筑波大学に工学部開設に尽力されたことなどの貴重な話あり、感銘を与えました。

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吉岡教授帰国時に植林した「含笑」(学名Michelia maudiae Dunn)常緑樹灌木
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30数年後現在のように成長した同木

千葉工業大学の訪問では、工業デザイン科の1年・2年の展示会が開催され、そこに参加した湖南大生との交流が図られました。

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千葉工業大学正門前の集合写真
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千葉工業大学1、2年生の製作発表会場の中国参加者
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千葉工業大学 同会場風景
写真7
千葉工業大学で日本人が学生のワークショップに中国参加者も参加、その説明を聞く参加者たち

その後、博士課程の学生が日本人学生と合同で、ゲーム的ワークショップを行い、新鮮な感受性を持つ若い学生に感銘を与えました。

そして、学生のワークショップに参加した教師を長尾教授が自身の研究室に招き、例えば、道具としてのドライバーの形状を握りやすい形状にしたり、最近の設計思想について話されました。

最後の千葉大学訪問では、副学長をはじめ工業デザイン科の多くの関係者の出迎えを受け、トヨタのデザイン部門の責任者であった方から、パワーポイントを活用した丁寧な説明を受けました。

その後、准教授の方から、人間の行動に関し、どのような動きがあるのかを追跡調査するのもので、被追跡者に知らせずに追跡することの問題がないのか?という質問が出ました。

日本では、安全な器具の形状、機能に反映させるために、このようなことまでして追求するということを学びました。

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今回の訪日の成果は、当世はやりの「つなぐ」ということです。30年前の日本人教授の功績が、現在も湖南大学設計芸術学院において認識されており、呼びかけに即応して訪日され、他方、日本側の関係機関も十分応対され、そして絆が復活したことは、たしかに今後につながるものと確信しました。

もちろん日本の工業設計の新しい動向にも触れられ、湖南大学の学生達には良い刺激になったものと思われます。